幸せになりたいなら、〇〇したほうが良い
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アラフォー世代は幸せの分岐点にいる
幸せですかー?
まあ。
なんとなく。
色々あるけど、とりあえず家族みんな生きているからトータルオッケーじゃない?と思う私は、幸せ偏差値が低いのか高いのか。。。(笑)
年齢で、幸せだとかどうだとか区切るつもるは毛頭ありませんが、アラフォー世代って、「これからあとの人生、上むいて生きるつもりか、それとも下向いて生きるか」を決める年頃なんじゃないかな、という気はしてます。
実際が幸せかそうじゃないかって、ものすごく主観的なことで相対化はできないですよね。
(そうは言われても、隣の芝生は青くて、どこもかしこも羨ましくなることもあります、人間ですから)
「幸せかどうか自分自身が決める」(←ものすごくよく聞くフレーズ)ことを、
- 現実のものとして捉える
- 自分なりの判断をくだす
最初の時期というのが、20代30代を突っ走ったあとの、アラフォー世代な気がするんです。
「幸せになりたい」複雑化しないことが大事
「幸せになりたい」て、とてつもなく抽象的な言葉だと、頭では分かっている。
なのになぜ、この「幸せになりたい」というフレーズを聞くと、ぴくりと反応してしまうのか。
もちろん、色々な人生や価値観があり、そのかたちはさまざまだと思いますが、ざっくり言うと
「ああ、生きていてよかったなあ」
としみじみ思える、小さなほっとする感情、それが多ければ多いほど、幸せなんじゃないかな、と個人的には思います。
では、どんなときにそれを思うの?
仕事で認められたとき、ダイエットが成功して自分がいけてると思えたとき、子供が歩き始めたとき、お給料が入ってケーキを買ったとき。。。
色々あります。ちっちゃいことも、おっきいことも。
あまり、「幸せ」を複雑化しすぎないことが、「幸せ」を感じやすくなるためのコツかな、と思います。
色々経験して、知識も経験も増えて、どうしたってアラフォーになると誰しも「ちいさな気難しさ」を持ち合わせているはず。
子供の頃よりも、「幸せ」へのハードルが知らず知らず高くなっているはず。
簡単なことで、幸せだとかやすやすと言いたくない!みたいなプライドだってあったりするし。
でも、そんな気難しさやプライドを、あえて捨ててしまうのも、「またひとつの大人っぽさ」なんじゃないかな、と思います。
幸せになりたいなら、いちいち「感動」しよう
私が今まで見てきたハッピーそうなご婦人や老婦人達にはみんな、「感動上手」という共通点があることに最近気づいて、「そうか!感動することって、大事なんだな」と思いました。
- とても気持ちの良い天気だった
- たまたま入った喫茶店で飲んだ紅茶のカップが綺麗だった
- 書店で立ち読みした本が面白かった
- 懐かしい人からメールが来た
- 友達と楽しくおしゃべりできた
そんなささいなことを、とっても嬉しそうに語り、コロコロと機嫌の良い笑い声をあげられる人。
もちろん、公私ではさまざまな、決して幸せばかりじゃない出来事もあるだろうけどそういう「ご機嫌な姿勢」を貫く生き方をしている。
そんな人が、私のこれからの目標であり、憧れです。
どうせ生きるなら「ささいな感動」を拾い上げて生きたい
歳をとると、若い頃より確実に感情の揺れ幅がなくなり、以前ほど小さなことに感動できなくなったり、当たり前だと思ってスルーしたりしてしまったりしがち。
私も!若い頃大好きだったアメリカの女優さんの主演映画を観て、全然感動できず
「あれ、私の感性大丈夫?」
と自分で自分が心配になった時期がありました(笑)。
ちょうどその頃は、プライベートもものすごく忙しく、日常で何かを感じる暇がない日々を過ごしていた時期。機嫌も悪く、いつも難しい顔つきをしていました(笑)
ささいなことにアンテナを張って、「感動」や「ちいさな喜び」を拾い上げる努力を、怠っていたとも言えます(余裕がなかったのもあるけど)。
そんな調子でアラフォーに差し掛かったとき、ふと、
「どうせ生きるなら、ちいさな幸せを拾い上げ、笑顔がひとつでも多い生き方がしていきたいな」
とナチュラルに思いました。
今でももちろん、忙しい日々のなか、いつもご機嫌でいられるわけじゃありません(笑)。
でも、なるべく「ささいな感動」を大事にして生きたいなと思っています。